千人殺しの石垣が際立つ延岡城跡を散策 [続日本100名城] [宮崎県延岡市]



 

TripAdvisor (トリップアドバイザー) 延岡市の観光情報をチェックしてみると、「千人殺しの石垣」が何だかとっても気になったので延岡城に足を運んだ週末弾丸トラベラーです。

 

延岡城延岡市内を流れる大瀬川と五ヶ瀬川の三角州に築かれた平山城です。この川が天然の外堀になっているようですね。Wikipediaによると、高橋元種が1601年に築城を始め、1603年に落成。 

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延岡城跡の案内板を読んでいると、「1613年に元種は改易され、肥前国日之江(長崎県南島原市)の有馬直純が五万三千石で入封しました。」のくだりで、キリシタン大名有馬晴信の嫡男はここに移っていたのか!と島原半島に所縁のある者として思わず脊髄反射してしまいました。

 

 

延岡城跡の北大手門

城跡の北側の大きな駐車場(週末なのにガラガラ)を抜けると北大手門が見えてきました。これは当時の資料等をもとに復元されたとのことです。 

 

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▼千人殺しの石垣

北大手門を抜けると「千人殺し」と呼ばれる二の丸高石垣が見えてきました。

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この石垣の要となる石を外すと、石垣が崩れ落ちてきて千人殺すことができるということからついた名前です。  

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千人殺しの石垣と呼ばれるだけあり、真下からその石垣を見上げると圧迫感というか、威圧感がすごいです。ものすごい傾斜に上の方の反り具合、そして高さ22m。この石垣が崩れ落ちたら間違いなく死んでしまうのはわかりますが、この石垣の石をどうやって外すのだろうか?とか、石を外した人も一緒に死んでしまわないか?とか疑問は尽きません。

 

 

延岡城の本丸跡地

これは誰の銅像なんでしょう?

ググってみたところ、延岡藩最後の藩主である内藤政挙でした。

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延岡城天守台跡

そして、天守台跡に到着しました。思ったより広いですね。 

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鐘付き堂がありました。今でも1日6回、鐘をついているようです。そのすぐ隣に小さな家がありますが、 この家の人が毎日鐘をついているのでしょうか。

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天守台跡から延岡市街地を望みます。この街は旭化成の街だということを川の向こう側の煙突と工場を見て思い出しました。

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延岡城の三階櫓跡地

 天守台跡から下って行くと三階櫓跡地があり、ここから延岡市役所を見下ろします。

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三階櫓の石垣が木で侵食されてます。カンボジアのタ・プロームという遺跡を思い出しました。そうだ、勝手にここを延岡のタプロームと名付けよう(笑)

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▼歴代延岡城主の碑

最後に歴代延岡城主の碑がありました。二代目の有馬氏は先に触れたように肥前国日之江城で生まれ育った人ですが、皮肉にも島原の乱の時には、島原半島の地理をよく知っているからということで、政府軍として加勢してしまうんですよね。

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真夏の炎天下で長いこと歩いていられなかったので、全部じっくりと見て回れませんでしたが、「千人殺しの石垣」はとにかく圧巻でした。色々と当時の様子の想像を掻き立たせてくれる楽しい散策でした。

 

 

 

[詳細情報]

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延岡城跡・城山公園 – 延岡観光協会より