最近、司馬遼太郎の小説にハマっている平日トラベラーです。
「関ヶ原」「城塞」を立て続けに読み終え、現在は「新史 太閤記」を読んでいます。
3月下旬に西日本旅行をしていて、山口県萩市を訪れた話を先週から書いておりますが、もう少々お付合いくださいませ。
今回は関ヶ原の戦いで西軍の総大将となった毛利輝元が築城した萩城を散策した話です。 東萩駅で自転車を借り、浜崎伝建地区を経由し、海岸に沿って萩城に向かいました。
指月小橋を渡り、二の丸東門跡から萩城へ入城。
ちょうど目の前を遊覧船が通って行きました。
タイミングが合えば、遊覧船でぐるっとお城の周りを回って見るのも良さげですね。
東門跡から反時計回りにお城の周りをまずは一周してみようかと、
まず目に飛び込んで来たのは、銃眼(鉄砲狭間)土壁なり。ふむふむ、火縄銃の銃口を穴の中に入れて、外敵に向かって発砲するわけですな。
銃眼(鉄砲狭間)土壁を外側から見るとこんな感じで、遠目だと銃口がこっち向いているかとかわかりませんね。
目の前は日本海です。海が綺麗。
敵がやってくるとしたら、船でってことですか。
まずは反時計回りに外をぐるっと一周しようとしたのですが、なぜか途中で行き止まってしまいまして、仕方ないので本丸を攻めることにしました。
内堀の向こうには本丸跡です。極楽橋を渡って、本丸跡に入ります。
入場料は二の丸跡内にある旧厚狭毛利家萩屋敷長屋とセットで220円でした。
料金所のそばに自転車を置かせてもらって、歩いて本丸跡地を散策します。
天守閣の看板がありました。明治7年に解体されてしまったんですね。
そういえば、東萩駅前に天守閣のミニチュア(?)がありましたね。
うーん、城内のソメイヨシノの桜の見頃はまだまだというところでしょうか。
いざ、天守閣へ!
天守台跡へ
天守台跡に到着です。
ここにあの写真で見た天守閣がそびえ立っていたんですね、、。
天守台から内堀を見渡します。
もし天守閣があったら、どのように見えていたんでしょうかね、、。
更に本丸跡地内を散策します。
万歳橋とミドリヨシノが見えています。
そして、花江茶亭。
藩主の別邸にあったものを明治20年頃に移築したそうです。
そして、指月山登山口。今回は残念ながら登りませんでした。
石彫公園から天守閣方面を見て、
二の丸南門跡から萩城を後にしました。 毛利輝元殿がいらっしゃいました。
この時はふーんって感じで写真を取っていたんですが、今となっては、「おおおおおおおお!!」と、徳川家康に減封されて悔しくなかったですか?悔しかったですよね!?って。
これが後々、江戸末期にこの地から偉人が量産されるわけですかね?
南門を後にして、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋へ。
長屋だけあって、長っ!!
中は小部屋で区切られているんですね。
その後は、自転車をかっ飛ばして、外堀、北の総門を通り抜け、
更に旧益田家物見矢倉を通り抜けて、萩城とその城下町の散策を楽しみました。
萩市内観光の時間の見積もりが甘くて、駆け足で見て回ったので、今度はゆっくり時間をとって、この長州藩の城下町を満喫したいですね。