このブログ記事が投稿される頃には、大阪伊丹行きの機内にいると思われる平日トラベラーです。と言いつつ、日曜日に出発しているのは平日朝の通勤ラッシュを避けるためですが。
さて、今回も北海道旅行の話になります。
北海道はアイヌの人々が長いこと暮らしていた大地なので、城址とかそんなに多くないと思っていたのですが、「陣屋跡」なるものがあると知りました。
つい最近オープンしたアイヌ民族の文化施設、ウポポイがあり白老駅なんですが、そこに仙台藩陣屋跡があると知り、行ってみたいと思ったのですが、既にその先の登別に来ちゃいましたしねえ、、。
白老に戻ろうかとも思いましたが、白老ならばまたいつか来る機会があるかもしれないからその時にでも、と先に進むことにしました。その先の室蘭市には南部藩の陣屋跡があることがわかり、そちらを見に行くことにしました。
登別駅から東室蘭駅で乗り換えのために一旦降ります。
東室蘭駅から1つ隣が最寄り駅なのですが、次の列車が、な、な、なんと2時間後!では、東室蘭駅から南部藩の陣屋までは、、約8kmと出ました。走っていけなくはない距離ですね。
ということで、2時間後の列車を待ってられないので、自分の足で向かいました。
周りは何もない住宅地のところに現れたのは民族資料館です。
とりあえず、中に入ってみましたが、来館者は私だけ。
館内はなかなか面白いものが展示されていたのですが、館内撮影はSNSやブログ等に掲載する場合は別途手続きがいるということで諦めました。
サービス精神旺盛な資料館の係員の方にモロラン陣屋の話を色々聞くことができて、とても勉強になりました。では、これから見に行って来ますね、というところで、
「昨日、この辺で熊の目撃情報が出たので気をつけてくださいね。」と。
「えっ!?えっ!?どう気をつけたらいいんですか?!」思わずひるんでしまいます。
「熊鈴とか、、、」
えっ?山登りに来たわけじゃないんだから、普通の旅行者が熊鈴持ち歩くわけないやん、、。
とにかく、熊を見つけたら一目散にダッシュな、、。
さて、南部藩陣屋跡(モロラン陣屋)に向かいます。背の高い杉林を通ります。
ちなみに、北海道には杉は生息していないのですが、南部藩の藩士が杉の苗木を持って来て植えたので、杉林があるんだとか。
はい、南部藩の陣屋跡に到着です。
南部藩陣屋は幕末に蝦夷地警備のために、岩手の南部藩により築造された陣屋です。
江戸幕府が東北諸藩に蝦夷地警備を命じて、南部藩は函館及び恵山岬から幌別までを警護地とされました。(因みに仙台藩は白老から襟裳岬、国後・択捉島までを担当していました。)
明治時代に南部藩藩士が撤退し、この陣屋は廃棄されました。
現在は陣屋を取り囲む土塁や堀(一部水濠)が残っています。
陣屋内(内陣)は、発掘調査で建物の礎石や石敷きの通路が検出され、当時の絵図を元にして、建物の配置を復元しています。
草木が生い茂って見にくいですが、水濠もありました。
おっと、こちらが陣屋正面ですね。
もしかして、私は裏口みたいなところから入って行ったのかしら(笑)
熊の目撃情報があったことを忘れて、つい林の奥深くまで入ろうとしてしまいました。
すぐそばの小高い丘に神社があったのですが、ここから室蘭湾が見えます。
木が生い茂ったり、工場とか橋とかありますが、当時はここから室蘭湾を往来する船がよく見えていたんでしょうね。
室蘭湾を取り囲むように、そして太平洋を見張るように、あちこちに台場や陣屋が置かれていたそうです。長い間の鎖国が終わったか、終わる前の頃の幕末で、北の方から不審な動きというか、緊張があったんでしょうね。
そして、陣屋の土塁の外側(内陣の裏側)には、藩士のお墓と、火薬庫跡がありました。
「故郷を離れ、慣れない土地で国境警備、本当にご苦労様でした。」と心の中で思わずつぶやいてしまいました。
南部陣屋跡を後にし、ふと振り返ってみると、杉の木だけが周りから浮いて、異空間の雰囲気を放っていました。
南部藩陣屋跡からさほど遠くない場所に、ポロシレト台場・勤番所跡があるらしのですが、今回は訪問しませんでした。
その代わり、偶然にも室蘭という地名発祥となった坂を見つけてしまいました。