週末にかけて台風がやってくるというので、戦国時代を中心とした書籍(中古本)を購入しまくり、読書をして、籠城しようとしている平日トラベラーです。
先月の長崎旅行で「沖田畷古戦場跡」を見てきた話です。
沖田畷の戦いについての説明は、私が最近めちゃくちゃハマっている戦国時代の合戦を解説するYoutubeチャンネル、YUKIMURA CHANNELをご覧ください。
20分くらいありますが、面白いのであっという間です。
で、(上記のYoutubeチャネルを見た前提で話を進めますが)
沖田畷というのは、島原市内のこの辺りになります。
下の方に島津・有馬軍が陣取っていた森岳城(後の島原城)があり、上の方の三会地区には龍造寺軍が陣取っていた寺中城がありました。
今は微塵も感じないのですが、当時のこの場所は、海岸までの細道だけで、その両側は胸まで浸かるほどのぬかるんだ泥田地帯でした。
国道沿いにひっそりと「沖田畷古戦場跡」という看板があります。
看板の案内に従って入っていくと、、というか、ここは私有地(町工場?)に不法侵入していることにはならないですよね?!
町工場の裏手にひっそりとありました、、。
この沖田畷の戦いで戦死した、龍造寺軍の大将、龍造寺隆信の供養塔です。
この戦いで龍造寺家は衰退して行き、龍造寺氏の家臣だった鍋島直茂が台頭するわけですね。
そして、沖田畷古戦場跡(龍造寺隆信の供養塔)から100-200m離れたところに、二本松神社があります。( 島原へ向かう列車の中からも見えます。)
二本松神社は龍造寺隆信を失った家臣のうち、この地に住み着いた人達が戦死をいたみ、その霊を慰めようと小祠を建て、霊を祀ったとのことです。
実は私、生まれも育ちも島原半島なのですが、、
戦国時代の九州の覇権を争う龍造寺vs島津というすごい戦いがこの地で起きていたなんて、、、沖田畷古戦場跡という看板は島原市街地へ向かう時によく目にしていましたが、深く考えたことはありませんでした。全くもってお恥ずかしい。
(もちろん、島原の乱は知ってますよ!)
小学校か中学校の日本史の授業で郷土史も少しは教えた方がいいと思いますよ。