数ヶ月前に右肩に違和感を感じ、ここ最近は右肩と二の腕が痛く、日常生活に支障が出て来たので、近所の整形外科医に診てもらったら、「四十肩」の診断が下った平日トラベラーです。
なんということでしょう...(涙)
と、さてさて、まだまだ続き10月の九州旅行ですが、、
大分駅に着いたら、いきなり大友宗麟とフランシスコ・ザビエルがお出迎えですよ。
まさかの、、これは想像だにしていなかったですわ。
ザビエルが、今にも「アナタハカミヲシンジマスカ?」って聞いて来そうな佇まいですよ。
さてさて、大友家は鎌倉時代から代々、豊後国の守護となり、この地を治めていたお家柄でソーリン様は21代当主ですが、時は戦国、争乱の時代で、北からは毛利氏、西からは龍造寺氏、南からは島津からの脅威で心労が絶えないソーリン様。
ザビエルが豊後に布教活動に来た時に会見したことをキッカケに、キリシタンへ改宗し、キリスト教をほごし、明との貿易や南蛮貿易を行います。領地内の寺社仏閣破壊しまくった挙句に、教会やコレジョ(神学院)とか建てまくりですわ。
大分市内を散策していたら、早速見つけちゃいましたよ、デウス堂跡。
さて、大友氏の本拠地だった大友館は現在、絶賛復元工事中で、だだっ広い原っぱでした。
島津侵攻時に破壊されて以来そのままだったんでしょうかね?
どうやら大友館の復元計画があるようですね。
大友館は中世に作られたものなので、一辺約200メートルの四辺形で典型的な守護館だったと言われています。この館を中心とする大友氏の城下町は府内と呼ばれていました。
戦国時代に作られた城とは違って防衛がそこまで強化されていないと思われるので、攻め込まれたらひとたまりもなかったのでは?と想像しています。
大友館跡の庭園は復元されていて、見学できるようです。
復元したばっかりのようですので、これから庭園の草木が育って来て、時が経ち、味わいが出て来た頃にまた来てみたいですね。その頃には大友館が全て復元されているといいのですが。
庭園のそばには「南蛮BVNGO交流館」なる建物がありました。
中の撮影は控えましたが、映像で大友館の解説を行うシアターゾーン、歴史ゾーン、衣装体験コーナーなどがありました。
庭園デッキからは復元された大友氏館跡庭園を見ることができるのですが、復元したばっかりですって感じなので、やはり、これから庭園としての味わいが出てくるのかなあ。
現在はだだっ広い更地に近い状態ですが、これからの復元作業に期待ですね。