たびマネ!

2020年4月から勝手にサバティカル休暇中だけど、もうセミリタイアでもいいかなぁ、、。

武田勝頼の最後を巡る日帰り旅、新府城と景徳院 [続日本100名城][山梨県韮崎市][山梨県甲州市]

この記事が公開される頃には九州のどこかを彷徨っていると思われる平日トラベラーです。


先月の話になりますが、青春18きっぷを利用して山梨へ日帰り旅行へ行ってまいりました。
旅のテーマは「武田勝頼

 

ということで、まず向かった先は新府駅です。 

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あれ?隣の駅は「穴山」っていうんですね。ということは、穴山梅雪さんゆかりの地なのでしょうか。ちょっと気になりますが、またの機会にでも。 
神君伊賀越えの旅 Day2 尊延寺→小川城 45.3km - たびマネ!

 

 

向かった先は神社、、ではなく新府城跡です。
入り口の階段がなかなか、、そばに巻道があってゆっくり登ることもできます。
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新府城武田信玄の四男、勝頼による築城です。領地拡大した武田氏の統治に限界があったため、甲府市内の躑躅ヶ崎館からこの場所へ移転が計画され、天正9年(1581年)に築城開始し、その年末には移転したとのことです。 

 

 

新府城の縄張りを見てみますと、、、
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西側が侵食崖(七里岩)、東側に塩川が流れる天然の要害ですね。
想像以上に大きく、完成したら難攻不落の城となっていたかもしれませんね。

勝頼様は織田軍の侵攻(甲州征伐)により、この城に火をかけて、岩殿城(大月市)へ向かい、そこで立て直しを図り、織田軍に立ち向かうはずでした、、。 

 


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が、武田家は滅亡してしまうんですよね、、。
武田勝頼の嫡男、信勝で系図が途絶えてしまっています、、。

 

 

勝頼公の霊社。
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名だたる武田家家臣の名前が、、長篠の戦いでの敗戦のダメージは大きかった、、。
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本丸からの眺め。
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武田家の方々が見てた景色と同じものを時空を隔てて見ていると思うと胸に込み上げるものがありますね。 

 

 

本丸跡。
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本丸跡はとにかく広いです。

 

 

帯曲輪跡。
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東三の丸跡。
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草木がぼうぼうで入るのを諦めました。 

 

 

ここは大手門跡なのですが修復作業中のようですね。
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この先にある丸馬出し跡を見たかったのですが、残念ながら、またの機会ですね。
丸馬出しは武田家の城の特徴で、角馬出しは北条家の特徴です。大手門の正面には富士山が見えました。

 

 

二の丸跡。
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ということで、
また来ることになるであろう新府城跡を後にして、次に向かった先は、、

 

 

甲斐大和駅です。
なんと、駅前には勝頼公の銅像が!(歓喜!)
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四郎作古戦場跡。
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説明板によると、

武田勝頼の怒りに触れ、蟄居の身だった小宮山内膳は主君の危急を知り決戦の前夜一行に追い付き「友晴が譜代の臣でありながら武田家の最後の戦いに臨めなかったなら小宮山家末代までの恥辱であり武士道にも背くゆえ蟄居の許しを請い最後の戦いに御盾となり高思の万分の一にも報いたい」と、勝頼に言上し、ここで勇敢に戦い散った。

とのこと。
これは勝頼様、心強かったに違いありません.........涙

 

 

と、すぐそばに鳥居畑古戦場跡が、、、。
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ここが織田・徳川軍による甲州征伐の先鋒、滝川一益の軍と、新府城からの道中、残り少なくなった武田家家臣達が激しく戦った場所とのこと。

 

目の前にある日川を挟んで、激しい攻防が繰り広げられたのでしょうか、、、。
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その日川(三日血川)ですが、どこかで聞いたような(八王子城)言い伝えありますね、、。
今は川が浅いけど、当時は水量が多く、武田家お付きの侍女たちが身を投げたとも、、。
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片手で追手を切り蹴落とした土屋惣蔵は討死してしまいますが、その息子が後に徳川家康の家臣に召し抱えられます。さすが、旧武田家臣コレクターの大権現様ですね。

 

 

景徳寺につきました。
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ここの寺の境内で勝頼様を始め、妻の北条夫人、嫡男、家臣ら50人が自害して果てた、、、。

 

 

寺内にある生害石。
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勝頼公、北条夫人、嫡男の信勝のお墓です。合掌。 
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没頭地蔵。
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首洗池。
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と、武田家滅亡を辿る旅だったのですが、驚いたことに、、 

 

 

 

景徳院から甲斐大和駅に向かう途中で、私の故郷に縁のある人物、有馬晴信蟄居の跡を見つけてしまいました!
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肥前有馬の日野江城城主にして、キリシタン大名有馬晴信岡本大八事件で甲斐に流されてしまったというのは知っていましたが、まさか、この場所だったとは思いもよらず、、。

 

切腹を命じされたのですが、キリシタンなので自害はできないので家臣が斬ったとか、、。
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これはお墓でしょうか? いやー、すごい引き寄せだな、と驚きました。

 

 

 

そして、こちらは大月駅そばにある岩殿城跡です。
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今回は攻城しませんでしたが、またいつか。

勝頼様はここを目指していたのに、家臣の裏切りで断念し、、そして、景徳院で最期を迎えたんですね、、。