ふと思い立ち、お盆明けのフライト予約をした平日トラベラーです。
さて、このブログを定期的に購読されていらっしゃる方はうっすらお気づきかとは思いますが、最近、旅先に城址があれば、見に行ってしまうくらいにお城巡りにハマっています。
で、北海道なんですが、アイヌ民族が長いこと暮らしている土地なので城址はあまりありませんが(道南にはある)、チャシがあります。
城ヲタの大先輩曰く、
「チャシはアイヌ民族の砦ですが、慣れないうちは原っぱにしか見えません。」
とのことでしたので、もう少し経験や知識を積み重ねてかな、と思っておりました。
釧路で何しようかなと、市内の地図を見ていた時にホテルから1kmくらい離れたところにチャシ跡があるではないですか。
近くにあるのであれば、とりあえず見に行ってみようかと思い、このチャシのことをググってみると、「普段は鍵がかかっているので、見学希望者は釧路市埋蔵文化調査センターに電話する」旨の記載がありました。
ちょっとめんどくさいな・・・。
と思ったのですが、鍵を持って埋蔵文化調査センターの方が来るのであれば、閉める時まで一緒にいるから、色々お話が聞けるのではないか?(=チャシのことが勉強できる?)と思い直し、連絡してみることにしました。
結果、電話してから1時間後にモシリヤチャシの前で待ち合わせることになりました。
急な斜面があり危険なので普段はこのように鍵がかかっています。
係員さんに開錠してしてもらい、いよいよ見学です。
因みにちょっと離れて全景を見てみると、お供え餅のように2段、そして左右に分かれているように見えますよね。これがモシリヤチャシの特徴のようで、何も知らないで見てみると、、ただの原っぱ、、というか丘。
ここはお供え餅の上の部分の土塁ですね。
係員さん曰く、地元の人は本当にお供え餅の丘みたいな呼び方をしているそうです。
これは空堀、、というより、係員さん曰く、壕だそうです。三角っぽく鋭角になっているのがチャシの特徴だそうです。普通の壕は四角く掘り、後ろを人が通れるようなスペースを作るそうですが、チャシにはそれがないそうです。
こちらは北側の副チャシから、南側の本チャシ方向を見てみました。
このチャシからの眺めがよく、眼下に釧路川、そしてビルなどがなければ河口も見えていたと思います。
敵は川からやって来るというので、この場所からだとその様子がよく見えていたんでしょう。
北側の副チャシからは更に段々畑みたいな感じになっています。
曲輪みたいなものでしょうか。
アイヌ民族は口述で代々伝えていってるため、チャシに関する文献がほとんどなく、和人の残した文献に出て来る程度だそうです。なので、チャシ自体の役割も明確ではなく、チャシによっては砦、または住居、または祭壇だったりすると。
このモシリヤチャシについては、トミカラアヤノという人が作ったと伝わっているそうです。
こうやって作った人が判明しているチャシは数少ない(ここだけ?)そうです。
埋蔵文化調査センターの方からマンツーマンで、しかも無料で説明を受けたのは本当にラッキーでした。モシリヤチャシから更に1-2km離れた湖の辺りにもチャシ跡があるということで、せっかくなのでジョギングがてらに行ってみることにしました。
ということで、もう1つのチャシ、ハルトルチャランケチャシ跡に到着しました。
これは先ほど説明を受けた壕でしょうか。
こちら側の方がまだ分かりやすいですかね。
目の前は春採湖で、突き出した地形を利用してチャシが作られたとのことです。
春採湖の周りをぐるりと1周走ってみましたが、湖の周りのほとんどの場所からチャシを確認することができました。
このチャシも砦の役割をしていたのでしょうか。
北海道にはいたるところにチャシ跡がありますが、今回の旅行ではここだけにしておくことにしました。チャシについて少しでも理解するには、アイヌについてちゃんと勉強した方が良いなと痛感しました。