今日は早起きしてお出かけしようと思っていたのに、未明の地震で起こされて、そのまま二度寝してしまってタイミングを逃してしまった平日トラベラーです。
先週の旅行の話になりますが、大阪市内のホテルをチェックアウトし、向かった先は、、
大阪駅直結!ホテルグランヴィア大阪 [ホテル宿泊記 ][大阪府大阪市] - たびマネ!
なぜに堺に?って話ですが、
かつて堺は南蛮貿易で栄えたところ、徳川家康の気分になって堺見物をしてみようかと。
まずは、千利休の屋敷跡へ。
そう戦国時代に、茶の湯で有名な方ですよね、そしてここ堺の商人でもありました。
ここは千利休が生まれた屋敷跡とのことです。
利休の父は商人たちに倉庫貸しをしていた問屋さんだったとのこと。
たまたまボランティアの方がいらっしゃって、運よく色々とお話を聞くことができました。
この井戸を覆う建物ですが、これがなんと大徳寺にあったものを移築したとのこと。
大徳寺というのは、寺の改修にあたって、桜門の2階に自身の木像を設置して、その下を豊臣秀吉を通らせるようにしたことが秀吉の逆鱗に触れて、切腹させられたという曰くの寺です。
(千利休の死については諸説あるんですがね。)
どこかのお城から移築したものかと思ったら、ちゃんと千利休に関係があるものなんですね。
色々興味深かったです。
そして、次に向かったのは、、小西行長屋敷跡。
小西行長といえば戦国時代のキリシタン大名で、秀吉の時代は肥後(八代や宇土の方)を治めていました。堺の商人だった小西行長もキリシタンですよね。
小西行長は関ヶ原の戦いで西軍につき負けてしまい、捕らえられ、処刑されてしまいます。キリシタンだから自害できなかったんですよね、、。
と、屋敷跡は案内板のみで遺構は全くありませんでした。
そして、妙国寺に向かいますが、、、
うーん、誰もいないではありませんか。
千利休の屋敷跡でボランティアの方に、妙国寺では徳川家康の伊賀越えの話が聞けますよってことだったんですが、仕方ないですね。
織田信長が安土城に移植させたという噂の大蘇鉄(国指定の天然記念物)をみたかったのですが、庭の入り口の扉が閉まっていて拝むことが出来ませんでした、、、。
この妙国寺は織田信長や徳川家康のエピソードのみならず、幕末には堺事件で土佐藩士11人の壮絶な切腹が行われた場所だそうで、 ここに来るまでそのことを知らず、調べてみたらビックリ!でございました。
夜は堺市在住の友人と合流し、地元で人気の飲み屋さんで美味しい料理と会話を楽しみました。
まさか居酒屋さんでものすごいクオリティのカレーを食べれるとは!
堺にまた来ることがあったら、再訪して他のメニューも制覇したいと思わせるとても良いお店でした。
そうそう、堺出身の友人が堺にいるなら「くるみもち」を食べてほしい、ってことだったので、居酒屋さんの斜め前にちょうど和菓子屋さんがあったので、日持ちする缶詰のものを購入しました。
くるみもちって、「胡桃」は入っているからだと勝手に思っていたのですが、餡に餅が包まれているから「くるみもち」なんですね。 美味しかったです!
堺といえば、仁徳天皇陵に代表される古墳が有名なはずなんですが、今回はあえて「戦国時代」にフォーカスしての堺見物となりました。
古墳は次回のお楽しみにしておきますね。